現代日本を代表する画家の一人、野見山暁治さん。芸術選奨文部大臣賞 などの数々の大きな賞を受賞されています。夏の間は、唐津湾にそった岬 の中腹、糸島郡志摩町のアトリエで、制作活動に専念されています。
【野見山 暁治さんプロフィール】 1920年 福岡県穂波町生まれ 1943年 東京芸術学校(現東京芸大) 油画科卒業 1952年 渡仏 1964年 帰国 1968年 東京芸術大学にて後進の指導
1981年 1978年 エッセイ集『四百字のデッサ ン』で日本エッセイスト・ク ラブ賞受賞 2000年 文化功労者に選ばれる
●ここにある絵は(150号サイズのキャンバスを指しながら)、完成の状態 ですか? 絵ってのは完成がないんですよ。どこかでこれ以上描けないなって思ったと きやめるんです。それを展覧会に出したりするけど、なんであそこはあんな風 だったんだろうと、描き直すことが多いんです。挙句、その絵はつぶれて無く なってしまうことがある。僕の画集でも、おなじ画面の絵が二つくらいあった りする。だけど、描き直しても、その絵の方がいいかどうかはわからない。絵 は、描けば描くほどよくなるというものでもないですね。
●なぜ画家を志されたのですか? 志したことはないんですよ。毎日描いているうちに、いつのまにかこの年に なった。はぐらかしたみたいな答え方ですが、子どもの時から絵が好きで、ず っと絵を描いてきて、そのまま絵描きになったんです。
●今まで描かれた作品数はどれくらいあるんですか?
んー。これはわかりませんね(笑)。私は怠 ![]()
け者だから、あんまり絵は描いてなかったと思 うけど。去年、3回目の回顧展をやりました。 自分でもよく作品があるなと(笑)。 ●83歳ということですが、とてもお若い ですね。 毎日絵を描いていたら、いつの間にか人がお じいさんというようになったな、という感じ。
●芸術家の方は長命な方が多いのでしょうか。 よく考えてみたら、僕は絵を立って描いているわけですよ。大きいのを描く ときは背伸びしたり、はしごに昇って描いたり。彫刻家だって、腕を使うから 筋肉質な人が多いですよ。小説とか、作曲は内部から搾り出して作品を作り出 すから、ストレスも多いけど、絵描きなんかは外部にあるものに触発されて描 くからそこも違うかもしれない。でも、このキャンバス(150号サイズ)が 大きいなと思うようになれば、もう手に負えないでしょうね。 以前パリから戻ったとき、妹夫婦と一緒に住んでまして、2階に僕のアトリ エと一間おいて義弟の書斎で(義弟は作家の田中小実昌氏)、彼が廊下に出る と、僕の足音がするっていうんです。うらやましいって。動くのが仕事なんて どんなにかいいって。彼は小説家だから、仕事してる間はじーっとしてる。こ っちは、仕事してる間は動いてるから。
●健康法というか、秘訣みたいなものは? 秘訣は無いんですけどね、私はのんきだからでしょうね。私のかみさんはね、 「あんた年取らないはずよ」っていってましたよ。人間関係の苦労がないから
ですって。組織の中に入ってるわけではないし、対人 関係で生きてるわけじゃない。自分の絵に生きてるわ けだから。描くのがつらいといったって、根底は楽し いものだから描いている。 それと、ひとつは遺伝じゃないかな。我が家はみん な長生きなんですよ。私の親父は97歳で亡くなりま したが、一緒に街へ出て、食事した帰りでも、「俺は
市内はタクシーに乗らん」といってました。もう90 歳過ぎでしたが。一番下の弟も、もう64、5かな。 時々、週末になったらここに遊びに来るんですよ。一 緒に泳ぎにいって貝をとったりして。
●この志摩の自然も健康にいいのでしょうね。 私は海が好きだから、夏場は天気がいいと毎日シュノーケルつけて浮くんで すよ(笑)。泳ぐというと最近では驚かれるので、浮くと称して海を散歩しま す。ここに来はじめて30年くらいになるかな。東京で忙しくなるとこっちへ 逃げてくるんです。面倒なことが無く、ストレスがたまらないから、絵を描く ことに専念できるのが健康な理由でしょうね。 それから、私はよく文章を頼まれるんですが、文章には締め切りがあるので、
昼間は絵を描くので、夜の文章の仕事とのけじめ
糸島郡志摩町
野見山氏のアトリエにてをつけるために、毎日30分くらい散歩に出るん です。 わざわざ決心して絵描きになったわけではない けれど、描き続けられることは恵まれていますね。 絵って食えないもんですから。人によっては、カ ルチャーセンターの先生したりとか。自分はそこ そこで止められたから、ストレスがたまらなかっ たんでしょうね。元々、楽天的なんですよ。面倒 くさいことが嫌い。そんなひとが2度も結婚しま したが(笑)。