医療情報室レポート
No.199

2014年11月28日発行
福岡市医師会医療情報室
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特集:我が国の予防接種行政を考える

 我が国の医療保険制度(国民皆保険)は、世界に誇る優れた制度として高く評価される一方で、予防接種制度は世界に大きく遅れているといわれ、接種するワクチンの種類が少ない、いわゆる「ワクチン・ギャップ」問題が長らく指摘され てきた。近年、Hibや肺炎球菌ワクチンなどが定期接種に組み込まれその差は縮まりつつあるが、予防接種制度そのもののあり方や国民の理解などにまだ先進諸国と大きな隔たりがある。
 今回は、“ワクチン後進国“と揶揄されてきた日本の予防接種制度の歴史を探るとともに、今後の予防接種行政にこれから何が必要なのか考えてみた。

●日本はなぜ“ワクチン後進国“になったのか

○予防接種法の制定と相次ぐワクチン訴訟
我が国では、戦後、感染症による死者が多数発生したことなどから、1948年に「予防接種法」が制定され、12疾病のワクチン接種が義務化された。その後、感染症による死者は大きく減少したが、一方で1960年代半ば頃からワクチンによる健康被害等がクローズアップされるようになった。特に、1989年から開始されたMMRワクチンについては、ムンプスワクチンの成分による無菌性髄膜炎が多発したことで訴訟が各地で起き、国の敗訴が相次いだ結果、わずか4年で中止されるという事態になった。

○萎縮した予防接種行政のはじまり
 
ワクチンの負の側面ばかりが強調され国民の不安が増す中、1994年に予防接種法が改正され、接種要件が「義務」から「勧奨」接種へと緩和され、接種形態も「集団」から「個別」接種へと移り変わった。またこのような状況を受け、それまで世界に先駆けて水痘や日本脳炎ワクチンなどの開発に取り組んできた製薬業界も消極的となり、国内での新ワクチンの生産は殆ど行われなくなった。この萎縮政策の風潮はその後も引きずられ、結果として、大量のワクチン未接種者が生まれ、昨今の麻しん集団発生や2013年の風しん流行に繋がったとみられている。

                     予防接種をめぐる国の主な施策と社会状況

昭和23年
(1948)
感染症の患者・死者が多数発生する状況をうけて、痘そう、百日せき、腸チフス等12疾病を対象し、罰則付き接種を義務付けた予防接種法が制定される。
昭和50年
(1975)
DPTワクチン(ジフテリア+百日咳+破傷風)接種後の死亡例の報告。
昭和51年
(1976)
感染症の患者・死者が減少する一方、予防接種による健康被害が社会問題化し、健康被害救済制度が創設される。罰則なしの義務接種へと変更された。
平成元年
(1989)
MMRワクチン(麻疹+ムンプス+風疹)が始まるも無菌性髄膜炎の多発により集団訴訟が起こる。国は相次いで敗訴し、MMRワクチンは1993年に中止となる。
平成6年
(1994)
感染症の患者・死者が激減する中、予防接種法が改正され、「義務」から「努力」規定へ、「集団」から「個別」接種へと変更された。
平成13年
(2001)
公衆衛生水準、医療水準は飛躍的に向上する中、予防接種法が改正され、対象疾病が一類疾病(努力義務あり)、二類疾病(努力義務なし)に分けられた。
平成17年
(2005)
日本脳炎ワクチン接種後の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)症例の報告を受け、積極的接種推奨が中止され、2011年4月に再開された。
平成19年
(2007)
高校生や大学生等の年齢層で、特にワクチン未接種者や1回接種者を中心に麻しんが広がり、全国的に大流行となる。
平成23年
(2011)
Hib、小児肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡例の報告を受け、接種が一時中止された。
生ポリオワクチン接種後のVAPP(麻痺)が問題となり、翌年、不活化ポリオワクチンへと変更された。
平成25年
(2013)
風しんの流行が過去最大ペースで広がる。
子宮頸がんワクチン接種後、慢性疼痛を訴える症例の報告を受け、積極的接種推奨が中止された。
予防接種法の改正により、副反応報告制度が法定化され、対象疾病が一類からA類、二類からB類へと変更された。


●日本の予防接種制度をめぐる問題点

○日本特有の制度「任意接種」
 日本の予防接種制度は「定期接種」と「任意接種」に区分されるが、任意接種は自治体の補助がない限り個人の費用負担が生じ、万が一の際の副反応に対する補償も定期接種に比べて十分ではない。何より問題なのは自治体による接種勧奨が積極的に行われないため、国民に「任意接種はさほど重要ではない」と誤った認識を広げかねない点である。

○ワクチン接種後の有害事象と偏ったマスコミ報道
先に触れた1989年のMMR禍をはじめ、近年では、日本脳炎ワクチン接種後のADEM発症(2005)やHib・小児用肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡事案(2011)などがセンセーショナルに報道され、世間に大きな影響を与えた。もちろん、MMR禍のようにワクチンそのものに 問題があった例もあるが、予防接種の有害事象の中には『紛れ込み』と呼ばれる「偶然の副作用」も存在する。例えばSIDS(乳幼児突然死症候群)で死亡した子どもがその数日前に予防接種をしていた場合、本当の死因は別にあったとしても『紛れ込み』となる可能性が高い。因果関係の見極めは難しいが、十分な検証がされないまま偏った報道が先行すれば、国民の予防接種に対する不安ばかりが助長されてしまう。

○自治体の厳しい財源事情による地域格差
  予防接種自体は国の施策であるものの、事実上の実施主体は地方自治体である。必要な予算は、国から地方自治体に託されているが、予防接種法では費用の一部負担を個人に課すことが認められていることから、地方自治体による地域格差・経済格差が生じている。

                         国内で接種できる予防接種(疾患名)
 定期予防接種  任意予防接種
・ジフテリア  ・百日せき  ・破傷風 ・ポリオ ・日本脳炎  ・結核
・小児肺炎球菌感染症  ・Hib感染症 ・ヒトパピローマウイルス感染症
・麻しん  ・風しん  ・水痘                       (A類)
 ・B型肝炎  
 ・流行性耳下腺炎
 ・ロタウイルス 
 ・A型肝炎   など
・インフルエンザ(高齢者)
・成人肺炎球菌感染症                         (B類)
 


●諸外国にみる日本のワクチン事情

○『ワクチン・ギャップ20年』立ち遅れていた日本の予防接種
  日本国内でHibワクチンが導入されたのは2008年(定期接種化は2013年)であるが、米国では約20年も前に導入を済ませており、他のワクチンについても日本は多くの先進国・中進国に遅れをとってきた。(下表参照)しかし、近年は、厚労省内に予防接種を検討するための専門部会や分科会が設置されたことや、VPD※に対する認識が広がりつつあることなどからワクチン・ギャップは埋まりつつある。なお、B型肝炎、ムンプス(おたふくかぜ)、ロタウイルスワクチンの定期接種化については今後の検討課題とされている。

※VPD(Vaccine Preventable Diseases)・・・「ワクチンで予防できる疾病」のことを指す専門用語

○先進諸国のワクチンは国のプログラム
  多くの先進諸国では、全てのワクチン接種の費用は公費で賄われており、日本の「任意接種」のような曖昧な取り扱いはない。なお、被害が拡大しやすいインフルエンザワクチンは、日本も含め諸外国では高齢者のみの適用であるが、米国では全年齢が対象である。

○「同時接種」の安全性は? 
  複数の異なるワクチンの同時接種は、接種率の向上、子どもの早期疾患予防、保護者の時間的負担の軽減など利点は大きい。我が国の予防接種ガイドラインでは、2種類以上の予防接種を同時に行う場合は、医師が特に必要と認めた場合に行うことができるとされ、医療者の間でもいまだ十分な理解が得られていない。 一方、米国では、生後2ヵ月の乳幼児に対する6種類の同時接種が日常的に行われており、同時接種の効果と安全性が確立されている。

                 ワクチン導入時期の日米比較
 種類  米国  導入迄年差  日本
 Hibワクチン  1987年 21年 2008年
 ヒトパピローマウイルスワクチン  2006年  3年  2009年
 結合型7価肺炎球菌ワクチン  2000年  10年  2010年
 ロタウイルスワクチン  2006年  5年  2011年
 不活化ポリオワクチン  2006年  6年  2012年
 結合型13価肺炎球菌ワクチン  2010年  3年  2013年


●我が国の予防接種行政の今後に向けて

 近年、日本国内でも多くのワクチンが定期接種化され、ワクチン・ギャップ問題は縮小されつつあるが、自治体の裁量に委ねた実施体制や国民のワクチンに対する理解など予防接種そのものに対する考え方にはまだ先進諸国との間に大きな隔たりがある。現在、国は、中長期的な予防接種施策の評価・検討の場として厚生労働省厚生科学審議会に予防接種・ワクチン分科会などを設置し、予防接種施策の新たなステージに向けて本格的な検討に乗り出している。ここでは、昨年の「予防接種基本計画」に盛り込まれた今後の課題・検討事項を取り上げてみた。

・予防接種に関する施策の実施状況や成果を図るため、工程表を作成し、PDCAサイクル(計画・実施・評価・改善)による
定期的な検証を実施。

・ワクチン・ギャップの解消に向けて、残りのおたふくかぜ、B型肝炎及びロタウイルスワクチンについて、技術的課題等の整理・検討が必要。
 
・予防接種に関し、一般国民や被接種者・保護者が正しい知識を持つため、分かりやすい形での普及啓発・広報活動の充実。

・開発優先度の高い6ワクチン*を定め、新たなワクチンの開発を推進。
 
  *6ワクチン(麻しん・風しん混合(MR)ワクチンを含む混合ワクチン、百日せき・ジフテリア・破傷風・不活化ポリオ混合     (DPT−IPV)ワクチンを含む混合ワクチン、経鼻投与ワクチン等の改良されたインフルエザワクチン、ノロ、RSV、帯状
疱疹)

・予防接種記録の電子化や成人後も予防接種歴が確認できる仕組みの検討。
 
・同時接種、接種間隔等の技術的検討。          等

医療情報室の目

★ワクチンは人類の英知が作り出した「武器」である
  
 ワクチンの歴史を振り返ると、1796年、英国の医師エドワード・ジェンナーが行った種痘の接種が世界最初といわれている。それから200年余りが経ち、ワクチンは様々な感染症から人類を救う「武器」として発展してきた。いまや、VPD(ワクチンで予防できる疾病)はワクチンで予防するという考え方が世界の潮流である。しかし日本の予防接種は、1989年に起こった国産MMR(麻疹・ムンプス・風疹)ワクチンによる無菌性髄膜炎の問題や、1992年の「予防接種ワクチン禍訴訟東京地裁判決」を機に国の政策は衰退し、同時に国民も予防接種に対し不安を抱くようになってしまった。この背景には、ワクチンによる一部の健康被害などが、事あるごとにセンセーショナルに取り上げられる報道のあり方と国の過剰とも言える反応に問題の一端があるように思われる。ワクチンは、人体(生体)の免疫システムに作用するため、時に予測できない反応を起こす可能性を持っているが、歴史的・世界的にみて、様々な感染症を撲滅、抑制してきたことは明白である。国やマスコミは、このようなワクチンの役割や有用性こそ広く啓発すべきであり、予防接種による健康被害が生じた場合の救済制度など国民の理解を促す情報についても、もっと積極的に発信していく必要がある。 
 人類の英知が作り出した「武器」を最大限に活用するため、何が必要かを今一度考えるべきだろう。

編 集  福岡市医師会:担当理事 今任 信彦(情報企画担当)・松尾 圭三(広報担当)・西 秀博(地域医療担当)
※平成10年5月より毎月発行して参りました医療情報室レポートは、12月で200号を迎えます。
これを機に平成27年1月より隔月(奇数月+12月)発行となります。今後も引き続き本レポートをご覧下さいますよう宜しくお願い致します。

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(事務局担当 情報企画課 柚木(ユノキ))
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