医療情報室レポート
 

bP84
 

2013年8月30日 
福岡市医師会医療情報室  
TEL852-1505・FAX852-1510 

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特 集 : 成長戦略としての医療

 安倍内閣は成長戦略である「日本再興戦略」を本年6月14日に閣議決定し、規制緩和と制度改正によって企業の事業意欲と競争力を高める環境整備に取り組む方針を打ち出した。この日本再興戦略において、医療に関しては8月2日に成長戦略の推進及び医療分野の研究開発の司令塔機能の本部となる「健康・医療戦略推進本部」を設置、8日に初会合を開くなど、医療分野の成長産業化に向けての取り組みを始めているが、医療は本当に国の成長牽引産業となり得るだろうか。
 今回のレポートでは成長戦略における医療の具体的施策を確認するとともに、規制緩和が医療にもたらすと思われる弊害などについてまとめてみた。


医療における成長戦略(日本再興戦略)の具体的戦略
 今回の「成長戦略」において、医療に関しては「国民の健康寿命の延伸」がテーマとなっており、大きく3つの方向性が示されている。具体的な戦略の内容は右図のとおりとなっているが、本戦略では自己健康管理を進める「セルフメディケーション」の考え方を前提に、医療の周辺産業の市場活性化に着目している点に特徴がある。
日本再興戦略で示された医療分野の具体的戦略
方向性 具体策 2030年までの目標
効果的な予防サービスや健康管理の充実
健康寿命延命産業の育成
予防・健康管理の推進に関する新たな仕組みづくり
医療・介護情報の電子化の推進
一般用医薬品のインターネット販売 など
健康寿命の延伸、メタボ人口減等
ICTの活用による医療の質の向上等
医療関連産業の活性化
医療分野の研究開発の司令塔機能(「日本版NIH」)の創設
先進医療の大幅拡大
医薬品・医療機器開発・再生医療研究を加速させる規制・制度改革
医療の国際展開 など
医薬品と医療機器の貿易収支の改善
日本の医療技術・サービスが獲得する海外市場規模5兆円
良質な医療・介護へのアクセス
医療・介護サービスの高度化
生活支援サービス・住まいの提供体制の強化
地域包括ケアシステムの構築
ロボット介護機器開発5ヶ年計画の推進 など
次世代の住宅・まちづくり産業の創出・発展
ロボット介護機器の国内市場規模2641億円
Keyword
 「NIH(米国立衛生研究所)」
 米国が1887年に設立した医学研究の拠点機関。国立癌研究所、国立心肺血液研究所といった各専門分野を扱う研究所など27の施設で構成されている。

○健康・医療戦略推進本部を設置 −政府一体で健康・医療分野の成長戦略を推進−
 成長戦略では、米国立衛生研究所(NIH)をモデルとした日本版NIHの創設を謳っているが、その本部機能としての役割を担うものとして設置されたのが「健康・医療戦略推進本部」である。本部長に安倍首相、副本部長に菅官房長官が就き、すべての閣僚が部員となるなど、まさに内閣一体の組織となっている。これまで医療分野の研究は、厚生労働省、文部科学省、経済産業省など各省庁毎に組まれていたが、健康・医療戦略推進本部の下、それらの予算を一元化し、各省庁の縦割りを廃することで、最先端医療の研究開発を加速させることを目指すとしている。今後推進本部では、重点化すべき医療分野の研究分野とその目標をより具体的にまとめる「総合戦略」を来年1月に策定し、同戦略を基に予算要求配分調整を実施する。
健康・医療戦略推進本部組織図
「第1回 健康・医療推進本部 決定資料」より一部転載
第1回会合(H25.8.8)における主な決定事項
来年度の予算要求の基本方針を決定。がんや難病などの治療の取組、医薬品・医療機器開発への取組、再生医療の実用化などが重点分野に
「健康・医療戦略推進会議」、「健康・医療戦略参与」、「医療分野の研究開発に関する専門調査会」の設置を決定


医療の“産業化”はどうあるべきか

 今回の安倍政権による「成長戦略」では、医療周辺産業の活性化を明言しているが、一方で“先進医療の大幅拡大”など、従来の成長戦略と同様、医療“本体”の産業化に繋がりかねない側面も見受けられる。
 医薬品や医療機器など、医療行為を支える医療関連産業の積極的育成は、雇用や消費の拡大を生み、経済の活性化にも繋がるだろう。しかし、医療本体の産業化、例えば株式会社による病院経営などといった市場原理主義に基づく医療の提供は、医療の質とサービスの向上には繋がらないばかりか、改革によって恩恵を受けるべき国民に、かえって弊害をもたらす恐れが強い。以下に、市場原理主義で医療を提供している米国の事例を基に医療への影響を検証してみた。
<医療への市場原理の導入の問題点>
1) 財力による医療へのアクセス格差
市場原理の下では、弱者(高齢者・低所得者)が排除され、医療保険を購入する財力のない者は「無保険者」となり、医療へのアクセスが閉ざされてしまう。米国政府は、巨額の税を投入してメディケア(高齢者)・メディケイド(低所得者)という公的医療保険制度を運営しているが、国民の7人に1人が無保険と弱者を救済しきれていない。
2) 医療費・保険料負担の逆進性
民間医療保険が主体の米国で保険に加入する場合、有病者ほど保険料が高く設定されるなど、医療が必要な人ほど医療へのアクセスが閉ざされてしまっている。また、企業を通じて保険に加入すれば、大口顧客に対する割引価格で医療を受けられるが、無保険者は定価で医療費が請求されるなど、弱者ほど負担が重くなってしまう「負担の逆進性」が発生している。
3) バンパイア効果
サービスの質を下げマージンを追求する悪質な企業がシェアを獲得した場合、それまで「サービスの質を追求」していた企業も生き残りを図るため、悪質な企業の経営手法に追従せざるを得ない状況に追い込まれる。このような現象は、吸血鬼にかまれた者は皆吸血鬼になるという例えから、「バンパイア効果」などとも呼ばれているが、もし、株式会社が医療機関経営に参入した場合、良質な医療を提供していた医療機関も淘汰される危険性をはらんでいる。
4) 市場原理を導入しても医療費が下がる保証はない
通常、“モノ”を購入する場合、「お金がないから購入を諦める」という選択は往々にしてあるが、医療に関しては簡単に「治療を諦める」訳にはいかないため、患者は医療提供者の言い値で医療を受けざるを得なくなるだろう。例えば米国では薬剤価格を製薬会社が自由に決められることなどから、世界的に見ても高額に設定されている。このように、医療においては価格決定を市場原理に委ねることが適切な価格を生むことには繋がらないといえる。
<参考文献> 李 啓充 著「市場原理が医療を滅ぼす」


Topics: 米著名経済学者が自国の医療規制緩和を否定!?

 今年5月に内閣府経済社会総合研究所が開催した国際コンファレンスにおいて、「日本経済の再生に向けて」と題したパネル討論が行われ、パネリストである竹中平蔵氏(慶応義塾大教授)と米国の著名な経済学者であるジェフリー・サックス氏、ジョセフ・スティグリッツ氏(ともにコロンビア大学教授)の両教授が規制緩和をめぐって意見を戦わせた。
 討論会の冒頭、竹中氏は成長戦略に向けた規制緩和が日本には必要との持論を展開したが、これに対しサックス氏は、米国では規制緩和や民営化を進めた結果、利益団体の力が増し市場本来の姿は実現しなかったと指摘。医療については、効率性の改善ではなくロビイストが生み出され、世界で一番高くかつ無駄の多い仕組みになったと異を唱えた。また、スティグリッツ氏も、米国市場の数多くの失敗を認めたうえで、市場本来の機能を果たすためにはルールと規制が必要であることを指摘。日本の個々の分野に対する規制緩和の必要性については理解をみせながらも、慎重に行うべきとの考えを示した。

<医療情報室の目>
 医療は、ある一面からみると医療行為を通して経済活動を行っており、これまでも産業としての側面を持っていたとも言えなくもない。ただ一部の識者やマスコミが医療の産業化の話をするとき、米国の医療と我が国の医療を対比して我が国の医療制度の後進性を指摘することが多いのだが、WHOの認定からもわかるように、国民が一般に受ける医療レベルは我が国は世界でもトップレベルにある。一方、米国は先端医療の多くの分野や医学研究におけるレベルが先進国中トップであるが、一般国民が受けることのできる医療レベルは先進国中最低レベルにある。その大きな要因は米国の医療制度が市場原理に委ねられている事にある。OECD諸国でも最低レベルの経費でトップレベルの医療を供給できている日本は、医療の三要素としてのコスト、アクセス、クオリティのバランスが取れた優れた医療制度であることを世界に誇って良い。
 今後、医療を営利産業と国が捉えるならば、現行の医療保険制度を破壊せずに国民に広く受け入れられるような制度にすべきである。一方でiPS細胞を始めとした先進医療の研究、新薬の開発、医療機器の開発に取り組む人材開発や仕組みの整備に本気で取り組んでもらいたい。さらに言えば国は、最先端ではないものの生活に密接にかかわる医療サービスを供給する必要がある。それについて民間サービスの参入を阻止することは難しいが、自由に参入させることには問題がある。最も医療に近い医療機関がこういうサービスを提供できるような仕組み造りがなされる事を期待する。
ご質問やお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までご連絡下さい。
   (事務局担当 情報企画課 下田)
担当理事 今任信彦(情報企画担当)・松尾圭三(広報担当)・寺坂禮治(地域医療、地域ケア担当)

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