医療情報室レポート
 

bP53  
 

2011年1月28日 
福岡市医師会医療情報室  
TEL852-1505・FAX852-1510 

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特 集 : 初夢占い −20年後の介護編−
 

 皆様明けましておめでとうございます。1月の医療情報室レポートは昨年に引き続きまして、バラ色の未来と悲惨な未来の2つをシミュレートしてみました。昨年は医師・医療編でしたが今年は介護編です。
 主人公は雨宮浩一郎氏、昭和25年7月7日に福岡市内で誕生。市内の県立高校を経て、昭和44年にK大学政経学部入学。卒業後、博多銀行に就職し、最後は執行役員にまでなりますが、平成24年、62歳で退職します。
 その後、友人が経営する中小企業A産業の経理部長に再就職。68歳になった平成30年に同社を退職し、年金生活を送っています。今回は、雨宮浩一郎氏が80歳になった平成42年が舞台です。


●シミュレーション【1】 バラ色の未来 −平成42年−
 平成42年までの歴史を簡単に振り返ってみます。
 平成が始まったころ起きたバブル崩壊により「失われた20年」とも言われた時代がありましたが、平成24年ごろよりアメリカの国力は凋落、ヨーロッパ各国もユーロの分裂でその力も弱まり、日本の安定性、安全性が見直されてきたのです。一時、海外に本社を移す日本大企業も増えましたが、今は逆に世界各国の優良企業が本社を日本に移すようにもなってきています。
 しかし、少子高齢化の影響は日本中に広がっており、この物語の平成42年には65歳以上人口は40%、医療・介護を含めた社会保障は日本政府の最も重要な課題となっています。平成30年、36年に医療保険と介護保険の同時改定が行われ、介護政策の方針が決定されました。社会保障は国民全体で助け合うという互助、共助の精神が浸透していったのです。これは平成24年に生まれた新政権による啓蒙活動が奏効したと言われていますが、日本の高齢者の増加、要介護者の増加を解決する方法としてこの方法しかなかったとも考えられています。
 さて、平成36年には医療保険と介護保険は一体化され、地方政府がその決定・運営を行い、中央政府は医療介護に直接関与することはなくなりました。各地域の実情に応じた制度が生まれ、複数の制度が切磋琢磨しながら、良い方向に進化していったのです。

雨宮浩一郎氏の独白

 私ももう80歳になってしまった。3年前に脳梗塞になったが、救命センターで一命を取り留めた。右半身はもう動かないものと諦めていたが、嬉しいことに脳細胞再生医療とリハビリによって杖で歩行できるまで回復できた。車いすだったら、自宅で独り暮らしは難しかったと思うが、3年間はホームヘルパーが1日に一回来るだけで、なんとか暮らしていけた。しかし、やはり徐々に弱ってきて要介護「1」になった時点で福岡介護局から高齢者マンションへの入居を勧告された。住み慣れた自宅を売るのではなく、リバースモーゲージ(※)にしてその収入で高齢者マンションの入居費用が相殺されるファイナンスを介護局が作成・運営してくれた。このマンション、福岡市中央区にあって築40年、平成2年のバブル経済のころに建てられたものだが、新築のように見える。古い建物を改装するリノベーション技術が進歩したためで、車いすでも問題なく生活ができる。若者の減少にともない介護職員も減っているのは仕方がないが、日本独自のロボット技術の進化によって、本当の人間と見分けのつきにくい介護ロボットが力仕事をするようになった。医師や看護師は人間だが、トイレや風呂の介助、認知症患者の見守りはロボットでも問題なく可能なようだ。息子夫婦はこのマンションから20kmほど離れた郊外に住んでおり、10年前から実用化された飛行自動車に乗れば20分ほどで行き来ができる。
平成36年から始まった医療介護保障制度によって75歳以上の高齢者は自己負担なく医療介護を受けることができる。昔、老人医療費無料化というものがあり、自己負担がないと病院が老人のサロンのようになり、不必要な受診や、行き場のない老人が長期間入院することが問題となっていた。いまは医療介護保障制度では自分たちのための制度という事がよく理解されており、限られた資源である医療介護を無駄に使う高齢者は皆無である。どんな制度もそれを使う人のモラルが重要という良い例であろう。ところでこの高齢者マンションは入居者の8割が女性である。再生医療技術やアンチエイジング技術が進化し、80歳近くになっても昔の40、50歳ぐらいにしか見えない女性も多い。当然、数が少ない男性は人気が出る。最近は人生100年が当たり前になってきたので、私もあと20年は楽しい生活がおくれそうだ。

(※)リバースモーゲージ‥‥保有している住宅や土地などの
  不動産を担保にした融資のこと。元金の返済や利息の支
  払いは基本的に必要なく、死亡時に不動産を処分して一
  括返済する形となる。



●シミュレーション【2】 悲惨な未来 −平成42年−
 平成42年までの歴史を簡単に振り返ってみます。
 平成が始まったころ起きたバブル崩壊による「失われた20年」、平成23年からの政治の混乱、財政の悪化により、社会保障制度はどんどん縮小されていきました。消費税増税、社会保険料増額などの国民負担率を上げることに対して、国民の了解が得られず、財政は極端に悪化。社会保障制度の縮小、保育園、小学校通学への自己負担の大幅増により、義務教育制度は事実上崩壊し、出生数は予測をはるかに上回るスピードで減少していきました。街中で子供をみることはほとんどなくなり、社会の階層化は固定され、日本の大都市にはスラム街が広がっていきました。
 財政が枯渇するのが明らかになっても、高所得層は税負担が増えることを拒み、平均以上の所得層のロビー活動により、所得税減税、法人税減税が続いたため、平成35年には国民皆保険制度は事実上破綻してしまいました。平成40年には医療保険の無保険者は40%に増加。介護保険も平成40年に廃止となり、介護は自助が基本となっています。日本の平均寿命は平成27年の85歳をピークに下がり続け、この物語の平成42年には61歳まで低下してしまいました。

雨宮浩一郎氏の独白
 私ももう80歳になってしまった。3年前に脳梗塞になり、救命センターで一命を取り留めた。高齢者医療保険料が月額3万円に上がり払えなくなったので、医療保険証を取り上げられてしまったが、運よく救命救急センターがすいていたので、貧窮者医療保護で治療を受けることができた。しかし、わずかばかりの貯金の半分を1週間の入院で取られる羽目になってしまった。平成2年築の40年物のマンションに住んでいるが、老朽化も激しく、片麻痺の身での生活はつらい。エレベーターも時折止まってしまい、5階まで杖で上がらないといけないこともある。
今年の冬には新型インフルエンザが流行し、多くの高齢者が医療を受けることができずに亡くなった。そのため、特養ホームに空きが出て、春からそこに入所することができた。しかし、特養ホームといっても築30年の老朽化した施設で、介護職も入居者100人に対して10人ほどしかいない。休みも入れると、昼には2,3人しか勤務していないような施設だ。医療保険証がないので医療は受けることができず、熱が出てもほったらかしにされる。月に10人ほどが亡くなっているようだ。自宅マンションを売却しようと思ったが、人口が減っており、買い手なんかいない。平成2年に5000万円で買ったマンションが10万円でも買い手はつかない。もう半分スラム化しているような建物を買おうと思う人もいないだろう。子どももいるが、ここ10年ほど全く音信不通になっている。どこで何をしてるのか。平均寿命は60歳。彼もそろそろお迎えの来る年齢か。ある意味、その年齢で逝くのもこの時代では幸せなのかも知れない。

私は20年も余分に生きている。何を支えにこれからの日々を送っていけばよいのだろうか。
 どの時点で日本はおかしくなってしまったのか・・・。はっきりとは思いだせない。ぼんやりと思いだせるのは、平成20年からの5年間が分岐点だったような気がする。もしもあの時に戻れたら、今の悲惨な現状を日本中の人にさけびたい。

<医療情報室の目>
 高齢者の増加、子どもの数の減少は止められません。要介護高齢者は増加、介護費用も急増し、その結果、介護保険料が上昇することも避けられない事実でしょう。しかし、すべての国民がその事を理解し、他人ごとではないと認識し、皆で協力することができれば明るい未来がやってきます。しかしながら、皆が自分の利益だけを主張し、高齢者の増加に対する社会的負担を忌避すれば、日本中が不幸に陥ってしまいます。どちらの世界に進むかの分岐点はここ数年でしょう。あなたはどちらの世界に進みますか。
ご質問やお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までご連絡下さい。
   (事務局担当 情報企画課 下田)

担当理事 原  祐 一(広報担当)・原村耕治(広報担当)・竹中賢治(地域医療、地域ケア担当)


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