医療情報室レポート
 

bP47  
 

2010年7月30日  
福岡市医師会医療情報室  
TEL852-1501・FAX852-1510 

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特 集 :医療と政治 2010
  〜第22回参院選をふりかえって〜
 

 7月11日に行われた第22回参議院選挙は、ご存知のように、与党・民主党は44議席と改選前と比較し10議席の減少、国民新党は1議席も獲得できなかったという与党の惨敗に終わった。まず、第一に言わなければならないことは、日本医師連盟が推薦、もしくは支援した3候補がいずれも落選し、さらに、3候補の得票を合計しても、3年前の武見敬三氏の票に1万6,000票も及ばなかったことである。1974年以来、堅持してきた日本医師会の組織内候補を失ったことで、今後、日本医師会の発言力が低下していくことは避けられないだろう。各種メディアも、組織内候補を絞れなかった日本医師連盟の組織力の急落と、一枚岩ではない医師会員間の亀裂として報道している。
 一方、日本歯科医師連盟は西村正美氏(民主)が約10万票、日本薬剤師連盟は藤井基之氏(自民)が約15万票、日本看護連盟は階恵美子氏(自民)が約21万票を獲得し、組織内をまとめ、いずれも当選を果たしている。特に、日本看護連盟については、平成19年(2007年)参院選で落選した松原まなみ氏の16万7,000票と比較し、今回の選挙では、野党・自民党でありながら、4万3,000票も上積みをしていることは特筆に価する。特定看護師制度や准看護師の廃止問題等、日本医師会と日本看護協会で見解が異なる政策課題がいくつかあるが、今後、法律を決定する与党がどちらの意見を聞くかは改めて注目しなければならないだろう。今回は、第22回参議院選挙を考察し、医療界への影響や医療と政治との関わりについてまとめた。

●第22回参院選の結果をどう読むか?
「ねじれ国会」の状況により、今後、政権与党にとって厳しい国会運営
 
政権与党民主党の敗北により、参議院において与党が過半数を割り込み、衆参両院で第1党の政党が異なる「ねじれ国会」の状態に陥った(表-1参照)。平成19年(2007年)の自公政権期の「ねじれ国会」では、衆議院で3分の2以上の議席を確保していた為、参議院で否決された法案を、衆議院で再度可決させることが可能であった。しかし、現与党は衆議院で3分の2以上の議席がない為、予算案を除いて、野党の協力が得られなければ、法案を成立させることは不可能で、参議院は解散がない為、改選までの3年間は、政権与党にとって厳しい国会運営を強いられることになる。
与野党が協調して政策を実現を目指し、「ねじれ」解消の必要性
 参議院で過半数の議席を確保する為、連立政権の形態を取るのか、法案・政策毎に野党に協力を求めるパーシャル連合(部分連合)を模索するのか、政権与党の「ねじれ」解消の動きが今後の政局を左右する。
医療関係団体推薦候補者の結果は?
医師・薬剤師等の医療従事者や元厚生労働省幹部、患者団体等の医療関係者を含めると、今回の選挙には37名が立候補し、当選はわずか11名という結果に終わった。
日本医師連盟が「推薦」した安藤高夫氏(民主党:新人)、都道府県医連の推薦を容認する「支援」とした西島英利氏(自民党:現職)、清水鴻一郎氏(みんなの党:新人)の医師3候補はいずれも落選した。一方、日本歯科医師連盟は西村正美氏(民主党:新人)、日本薬剤師連盟は藤井基之氏(自民党:元参議院議員)、日本看護連盟は階恵美子氏(自民党:新人)を擁立し、いずれも当選を果たした。
組織内候補が当選した団体でも得票数を落としたところがあり、日本医師連盟も、武見敬三氏に一本化した平成19年(2007年)の選挙の際と比較して、今回の3候補が獲得した票は1万6,000票余り減少しており、職能団体の集票力低下傾向が加速している。(表-2及び次ページ表-3参照)
日本医師連盟は、候補者の一本化が成らず、異例の3名候補とした為、著しく求心力を欠き、会員のまとまりと潜在的な力を引き出すことが出来なかった。また、医師の政治離れがますます進み、早晩、日本医師連盟は、政界の足場を完全に失ってしまうとの懸念が深まっている。
その一方、日本看護連盟は前回選挙と比較して30%増の21万票を獲得した。選挙前に連盟が候補者を擁立する方針に対し、日本看護協会が不支持を表明する混乱もあったが、政治の構造が変わった時に激しく動くと組織の信
頼感をなくすとし、5年前より組織の改革を進める中で、政治への関心を高める為に「政治アカデミー」を開催したり、地方組織にも自立した活動を展開させる等、地道な活動が得票数増加の要因だと言われている。
医療が政治と関わる必要性
日本医師連盟では、医師の政治意識が変わってきており、従来のトップダウンの方針の縛りが効かなくなっていた。平成19年(2007年)の参院選では、近畿地区の医師会や茨城県医師会で連盟の推薦候補者を支持しない、あるいは、一本化しない動きがあり、当時の推薦候補であった武見敬三氏は落選した。この時の近畿地方における武見氏の得票数を、平成13年(2001年)の選挙と比較すると、約2万票減少しており、この2万票が獲得できていれば、武見氏は当選していた可能性がある(次ページ表-3参照)。
表−3 日本医師連盟推薦の候補者(参議院議員選挙:比例区)
投票日 日本医師連盟
推薦者候補者(政党)
結果 推薦候補者
の得票数
A会員1人当
たりの得票数
選挙方式 得票率
第10回 昭和49年(1974年)7月7日  丸茂 重貞 氏(自民)  当選 87万票 13.25 全国区制 73.20%
第11回 昭和52年(1977年)7月10日  福島 茂夫 氏(自民)  当選 127万票 18.53 68.49%
第12回 昭和55年(1980年)6月22日  丸茂 重貞 氏(自民)  当選 83万票 11.50 75.54%
第13回 昭和58年(1983年)6月26日  大浜 方栄 氏(自民)  当選 ※名簿順位12位 ------- 比例代表制
  (厳正拘束名簿式)
  ※政党のみへの投票
の為、個人票なし
57.00%
第14回 昭和61年(1986年)7月6日  宮崎 秀樹 氏(自民)  当選 ※名簿順位18位 ------- 71.36%
第15回 平成1年(1989年)7月23日  大浜 方栄 氏(自民)  当選 ※名簿順位 9位 ------- 65.02%
第16回 平成4年(1992年)7月26日  宮崎 秀樹 氏(自民) 繰上
当選
※名簿順位20位 ------- 50.72%
第17回 平成7年(1995年)7月23日  武見 敬三 氏(自民) 当選 ※名簿順位 1位 ------- 44.52%
第18回 平成10年(1998年)7月12日  宮崎 秀樹 氏(自民) 繰上
当選
※名簿順位16位 ------- 58.84%
第19回 平成13年(2001年)7月29日  武見 敬三 氏(自民) 当選 22.7万票 2.80 比例代表制
(非拘束名簿式)
56.44%
第20回 平成16年(2004年)7月11日  西島 英利 氏(自民) 当選 25万票 3.01 56.57%
第21回 平成19年(2007年)7月29日  武見 敬三 氏(自民) 落選 18.6万票 2.20 58.64%
第22回 平成22年(2010年)7月11日  安藤 高夫 氏(民主) 落選 7.1万票 0.84 57.92%
 西島 英利 氏(自民・支援) 落選 7.6万票 0.90
 清水 鴻一郎 氏(みんな・支援) 落選 2.3万票 0.27
今回の参院選は、候補者を一本化できなかったことが最大の敗因だが、その背景には、時の政権党支持か、従来の支持政  党支持か、医師会内部の意思統一が図れず、これまでの組織型選挙の限界を露呈した形となった。これからは、国民医療守護を旗幟鮮明にして、議員支援も政党の枠にとらわれず、是々非々の態度で臨むことも医師会員の共通の立場としなければならない。
言うまでもなく、医療政策や診療報酬等は政治の場で議論され、その決定権は政府・与党にあり、医療従事者が医療活動に専念できる医業経営・医療環境を整備することは、国(政府)の責任である。医療制度を始めとする「国民の健康」を守る枠組みやシステムが、その時々の経済状況等によって恣意的に政治の論理のみで構築されることがあってはならず、我々、医療現場に直接関わる者は、常に政治へ参画する姿勢と、地方・国政を問わず、議員とのパイプを確保しておかなければならない(表-4・5参照)。
表−4 医師で現役国会議員一覧
 参議院
政党 氏名 選挙区
民主党  足立 信也 氏  大分
 梅村   聡 氏  大阪
 櫻井   充 氏  宮城
国民新党  森田   高 氏  富山
 自見庄三郎 氏  比例
自民党  古川 俊治 氏  埼玉
公明党  秋野 公造 氏  比例
 風間   昶 氏  比例
 渡辺 孝男 氏  比例
衆議院
政党 氏名 選挙区
民主党  石森 久嗣 氏  栃木1
 岡本 充功 氏  愛知9
 仁木 博文 氏  四国ブロック
 吉田 統彦 氏  東海ブロック
自民党  鴨下 一郎 氏 東京ブロック
公明党  坂口  力 氏 東海ブロック
社民党  阿部 知子 氏 南関東ブロック
表-5 福岡市医師連盟推薦の地元国会議員
政党 氏名 選挙区
民主党  大久保 勉 氏  福岡
自民党  大家 敏志 氏 福岡
 松山 政司 氏  福岡
連載 Column 「医療と経済学」vol.3
           〜流動性の罠〜
 「流動性の罠」とは、金融緩和により金利が一定水準以下に低下した場合、投機的動機に基づく貨幣の需要が無限に大きくなり、通常の金融政策が効力を失うことを言います。一般的に金利が下がると債券価格が上がります。金利が極端に低い時には、ほとんどの人が金利が下がり債券価格が上がっても、金利はすぐに元に戻り(上がり)債券価格が下がると考えます。その為、このような状態で金利が下がると、皆が債権を売りに出し、貨幣需要が爆発します。つまり、投機せずに何もせず、現金を保有することが安全だと考えるのです。この心理により、貨幣供給量も増加しない為、「流動性の罠」の状態での低金利政策は、結果として景気に大きな影響を及ぼしません。実際に1990年代末のバブル崩壊後に取られた日本のゼロ金利政策は、金融緩和が限界に近いところまで行われ、ゼロまで引き下げても、景気刺激の効果が得られなかったといった状況は、「経済が流動性の罠に陥っていた」ことを表しています。 現在の日本はデフレの為、例えば、金利が1%であっても、物価が2%下がってしまえば、実質的な負担となる金利は3%になります。これでは、私たちは低金利のメリットを感じませんので、金融政策はほぼ手詰まりの状態となります。
<医療情報室の目>
 今回の選挙結果により、今後、政権における菅首相の求心力は弱まり、様々な局面で連立政権内でも意見調整が難航して、政策の迷走が続くことが予想される。社会福祉、とりわけ医療の分野では、日本医師連盟が比例代表で擁立した3名の候補者がいずれも落選し、組織内議員の議席を失ったことは、医療の何たるかを真に理解する我々医師の声を、直接、国政の場に反映する道が閉ざされてしまったわけで、今後、そのツケが、我々自身に回ってくることを覚悟しなければならない。福岡市医師連盟は、福岡選挙区で推薦した2名の非医師の候補者が当選し、比例区で推薦した医師会員2名の候補者が落選した。医師連盟の組織内候補者2名の敗因は、今年度初めの日本医師会会長選の影響によって、日本医師連盟の方針決定が遅れたこと、それに伴い、全国的にも選挙活動に出遅れがあったこと、そして、結果的には日本医師連盟の候補者を一本化することが出来ず分裂選挙となり、票の分散を招いてしまったこと等が挙げられている。
 西島英利氏については、6年間に亘って医療政策の立案に努力されてきたことは十分に評価されるべきである。しかしながら、自民党が下野し、以前のように政策立案に関与できなくなり、さらに今回、組織内候補がいずれも当選できなかったことは我々医師にとって大きな痛手である。候補者を一本化して選挙に臨み、組織内候補を温存させる方策も考えられたはずであり、今回の日本医師連盟の選挙戦略は失敗したとして厳しい批判を浴びることは避けられないだろう。3名の日本医師連盟候補者が獲得した17万票は、仮に候補者を一本化していれば、さらに票の上積みが期待出来たかも知れないが、いずれにしても、100万票を超える得票を実現した昔日の面影はない。現実、三者共倒れとなったこの結果は、今後、医療に関して医師の主張が通りにくくなり、ひいては、医師の職域や裁量権が一方的に政治経済の論理によって侵襲されるという厳しい状況に直面するだろう。我々は、この状況を政治との関わり方のターニングポイントと捉え、日本医師会や日本医師連盟のトップが迅速かつ適切な判断が下せるよう、医政の戦略的思考・判断を総合的かつ迅速に行うセクションを日医総研に創設する等の体制建て直しが急務だと考える。今回の選挙結果を医師会の組織崩壊の始まりとするか、禍転じて、体制建て直しのきっかけとするかは、我々医師会員が意識改革を成し得るかどうか、
そして、どのような行動をとるか如何にかかっている。

 ※ご質問や何かお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までお知らせ下さい。
   (事務局担当 工藤 TEL852-1501 FAX852-1510)
 

担当理事 原  祐 一(広報担当)・原村耕治(広報担当)・竹中賢治(地域医療、地域ケア担当)


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