医療情報室レポート
 

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2010年5月7日  
福岡市医師会医療情報室  
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特集 :医療と経済学
 

〜 はじめに 〜
 医師とは元来、「理系の人間」である為、学問とは、理系的・実験的で、神様が決めた自然のルールを紐解いていくものだと信じている人もいます。
 一方、文系の人々は、理系の人々のように神様が決めたルールを発見していくといった研究方法ではなく、中でも経済学者の人々は、人間の行動を理論化(モデル化)して、その整合性を数式の中で検証し、自然科学の中でも実験系ではなく、実は、理論物理や数学に近い思考をしており、文系の研究と理系の研究は立ち位置が異なっています。
 医療の最終的な目標は、豊かで安全な社会を作り、社会の安定の為に役立つことであり、医療は万人に対して公平であることが望ましく、その為、専門家が様々な医療政策を論じていますが、そこで必ず資源配分の問題に帰結します。医療に関する経済的側面を担う学問を「医療経済学」と呼んでいますが、これは、医療サービスの適正な消費や消費を可能にする為の方法・制度を明らかにしようとするもので、社会の安定に役立ち、経済の語源である「経世済民」につながっています。実は「医療」と「経済学」は密接な関係にあるのです。
 今回は、経済学についての見解とその辿ってきた歴史をご紹介します。今後も本レポートにおいて「経済学」や「医療経済」についてのコラムを連載していく予定です。

経済学とは?- 経済学の歴史-
経済学の本質
 経済学の教科書は山ほどありますが、歴史上最も売れている教科書はポール・サミュエルソン博士(Paul A. Samuelson【米】1915年〜2009年)の「経済学Economics:An Introductory Analysis」と言われています。この本の巻頭に経済学が解決する問題として3つの点が挙げられています。
1. <どのような>商品を、しかもどれだけ、生産すべきであるか、すなわち、経済は選択の可能性のある数多くの財貨とサービスのそれぞれを、どれだけ作るべきか。
2. 財貨は<どのようにして>生産されるべきであるか、すなわち、誰が、どの資源を使い、どんな技術的方法で生産されるべきか。
3.
財貨は<誰のために>生産されるべきか、すなわち、誰が、提供される国の財貨やサービスを享受し、かつその恩恵を受けるべきであるか。この3つの課題を解決していくのが経済学の本質であるということのようです。初版は1948年ですが、いまだに改訂版が出版されており、また読みやすい本なので、参考になるのでないかと思います。
アダム・スミスからケインズまで(18C後半〜20C中頃)
 経済学の始まりから話を始めますと、経済学の始祖はアダム・スミス(Adam Smith【英】1723年〜1790年)とするのが一般的な見解です。スミスは1723年の生まれで、享保改革を実施した徳川吉宗(暴れん坊将軍)が江戸幕府の将軍になったのが1716年、田沼意次や与謝蕪村と同じ頃の人です。有名な「国富論」が出版されたのは1776年、アメリカ合衆国が独立を宣言する4カ月前です。
 アダム・スミスの基本的思想は、市場の自由にしておけば「最大多数の最大幸福が得られる」と言うもの。いわゆるパレート最適(ちなみに、パレートとは経済学者の名前)が得られると言うものです。経済の発展を求めるのなら、「規制を廃し市場を開放しないといけない」と言うものです。いわゆるレッセフェール(自由放任:フランス語)こそがあるべき姿というものです。
アダム・スミスは経済学の礎を築き、今では「古典派」と呼ばれる思想を創り出しましたが、この古典派経済学の理論的な礎を築いたのはデビット・リカード(David Ricardo【英】1772年〜1823年)です。リカードは国際分業の原理としての「比較優位説」を発見しました。

必ず需用される」という理論を前提としています。この考えを一般的に「セイの法則」と言いますが、古典派経済学者の重要な前提ともなっています。供給されたものはすべて売れるというものであり、また供給された労働力もすべて売れることになります。すなわち、売れ残りはあり得ず、失業もないという考えです。古典派の考えは今でも、「セイの法則」を脈脈を受け継いでいるようで、その為、昨今の「古典派」(新自由主義者)も失業については考慮しない傾向にあります。
新自由主義者は、政府は市場に介入すべきではなく、競争状態に置くべきとし、その結果、失業者が生まれても仕方がなく、そのうち安い賃金で働くことになるので、それで良いと主張する根拠はこの「セイの法則」にあるのです。それに従って「医療保険も政府が運営すべきではなく、誰でも扱えるように規制緩和を推進すべき」と言う理屈が生まれてくるのです。この古典派経済学の基本的テーゼと異なる見解を示したのがマルクスとケインズです。
〜レッセフェール〜
 「生産力を増やすためには、各人が得意分野に特化した作業を行うべきである。」例として、職人がピンを作るのに全工程を1人でやれば1日に1本さえ作れないが、工程を10人で分業すれば、1日に48,000本も作ることができるという話は非常に有名です。このように、分業こそが生産性向上に必要ですが、これは誰かが論理的に作り出すものではなく、人々が自分の利益を最大限にすることを求めると、自然とそうなります。「交易・交換という経済取引は人間の本能の中に存在する性質(内発的動機)であるので、これを規制してはならない。」これが、レッセフェールであり、現在の古典派にも引き継がれています。
ケインズ学派の誕生と有効需要論
 ここからは、現代経済学の祖であるジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes【英】1883年〜1946年)の紹介に移ります。彼が生まれたのは1883年、明治16年のことです。1936年に有名な「雇用・利子および貨幣の一般理論」が出版されましたが、この中で今までの古典派の経済法則であった「作ったものはすべて売れる、長期的失業は発生しないという『セイの法則』」を批判し、在庫が積みあがることもあるし、失業もあり得る」と述べているのです。一方、ケインズも古典派のことをすべて否定しているわけでなく、景気の良いときは作ったものはすべて売れ、市場メカニズムが働き、失業者も出ない。一方、景気が悪いときは市場を自由放任(レッセフェール)とせずに、政府が需要を作らないとならない、と説きました。すなわち、古典派が言っている「供給が需要を作り出す」のではなく、「需要こそが供給を作り出す」とまったく逆のことを言ったのです。そのためケインズの考えは「革命」とまで呼ばれます。これが、ケインズの「有効需要の原則」です。1927年に起きた世界大恐慌はケインズの説を後押しする絶好の機会となったわけです。しかしながら、1930年代から40年代は公共需要の発展よりも、戦争経済によってアメリカの景気は持ち直すことになります。ケインズ経済学が隆盛を極めるのは1950年代以降ですが、残念なことにケインズは1946年に亡くなってしまいます。ケインズ経済学を最も簡単に理解できる本は先程ご紹介したサミュエルソン博士の「経済学Economics:An Introductory Analysis」です。
ケインズから新自由主義思想まで(20C後半)
ケインズ経済学を信じる学者や官僚をケイジリアンと言い、1950年から60年にかけて隆盛を極めます。しかしながら、失業がある間にはインフレは無いとするケインズの考えに反して、1960年代初頭には失業とインフレの同時進行がアメリカに起きてきました。その後、1960年代後半にはジョンソン政権下でのベトナム戦争の泥沼化により、アメリカの繁栄も低下していきます。インフレが加速し、失業者が増加していくのです。1967年にミルトン・フリードマン教授(Milton Friedman【米】1912年〜2006年)によりケインズ政策の批判が起こります。「失業率を下げるための政府による投資は効果
〜アダム・スミスの自由放任主義〜
スミスも突然このような考えを思いついたわけでなく、さらにその前にスミスの古典派の基礎となる理論がありました。それを唱えたのは、トーマス・ホッブス(Thomas Hobbes【英】1588年〜1679年)とジョン・ロック(John Locke【英】1632年〜1704年)です。ホッブスは人間を自然状態から考えました。自然とは社会がないと言う状態で、動物の世界のようにも思えますが、決定的な違いは「人間には予見能力がある」と言う点です。有限の資源を予見能力のある人間が争って奪い合うと、最後は常時の紛争状態になるとホッブスは述べています。
 一方、ロックの考えは少し違い、資源は有限でなく、人間が労働をすることで増やすことができると言う点です。その為、労働をして増えた資源は労働をした人の物になり、それが資本(財産)の私的所有を理論化したのです。すなわち、私有財産は社会(国、国王、支配者等)によって与えられたものではなく、自然状態でも既に与えられているものであることを理論化しました。「私的所有権は自然状態から存在する」ことは、資本主義の基本的考えとなっていきます。
これは経済学の中でも最大の発見とも言われています。サミュエルソン博士は「比較優位説」の説明として、弁護士と秘書を例として説明しています。優秀でタイピングも早い弁護士がいます。時給換算にすると100ドルとします。この弁護士が自分よりタイピングに2倍の時間がかかる秘書(時給10ドル)を雇うべきでしょうか?答えは、雇うべきです。弁護士が1日に8時間働き、そのうち2時間はタイプ時間とすると、1日に稼げるのは6時間の弁護士業務の為、600ドルとなります。秘書を雇うと、彼女はタイプに4時間かかり、秘書の費用
は40ドル。しかし、8時間弁護士として働けるので収入は800ドル、差し引き760ドルとなり、600ドルより多く稼げることになります。秘書も40ドルの収入が入ることになり、ウィン・ウィンとなることになります。これが「比較優位説」で、近代国際分業の基本となった考えです。
また、リカードは同時代のジャン=バティスト・セイ(Jean-Baptiste Say 【仏】1767年〜1832年)の理論「供給されたものは
が無く、かえって民間の資金需要に悪影響を及ぼし、金利を上昇させるだけだ(クラウディングアウトが起こる)」と論じました。このあたりから、新自由主義(詳細は、医療情報室レポートNo.131「新自由主義とは何だったのか?その1 〜医療分野にもたらしたもの〜」に掲載)が起こってきて、現在に至っています。
 1970年代には「合理的期待学派」が生まれ、これは「人間はすべての利用可能な情報を利用することによって正しい予測が出来る」と言う考えで、この考えに従えば、消費者と企業はすべてのことを知ることができ、正しい予測をすることも可能となる。その為、「自由に任せるのが最も良く、政府は何もしない方が良い」と言うことに帰結します。
 20世紀中頃になり、ケインズ政策が発展するにつれて、政府の役割が大きくなってきました。政府の役割の一つに、所得の分配機能があります。個人所得税、法人税、消費税、社会保険料等を集め、政府は、公共事業を行ったり、医療福祉政策や低所得者対策等を実施しましたが、この割合が無視できなくなってきました。この政府による経済活動を効率化する、また測定する必要が生まれ、厚生経済学、公共経済学が発展してきました。医療経済もこれらの中の一部の分野です。医療経済学も今までの流れ同様に、「新古典派(新自
由主義派)」と従来の「古典派」経済学に異議を唱えた「制度派」・「ケインズ派」にわかれ、どの国でもこれらの考え方がせめぎ合いをしています。1970年頃から新自由主義の考え方が台頭し、1980年代に米国のレーガノミックス、同時代の英国ビックバンを皮切りに先進国で幅広く受け入れられてきました。医療政策に変化が生まれたのもこの時代です。日本では中曽根政権が新自由主義的な政策を始め、20数年を経て小泉内閣時代に完成されていきます。
●財・サービスと医療
経済学の扱うものは財とサービスです。そして、財・サービスはその特性に応じて、私的財、価値財、公共財の3つに分けることがあります。私的財とは食料品をはじめとした一般的なもの。購入者の所得や嗜好に合わせて、市場で自由に取引されます。私的財が市場の取引に馴染む理由は、消費者はその物の価値を理解しており、良い物は高く取引され、良くない物は次第に淘汰され、なくなっていくからです。価値財とは、教育等で、情報の非対称性から、その品質と価値を正確に把握することは困難で、政府が供給や質をコントロールしたり、規制や割当てが必要になるものを言います。公共財とは、警察等で、個々の人の消費が他の人の消費を妨げず(非競合性)、同じ財・サービスを複数の消費者が同時に消費可能で、消費者に対し個々の対価を徴収することが困難な性質のものを指します。多くの財・サービスは必然的に私的・価値・公共のいずれかに分けられるのですが、医療は国によって私的財とする国(アメリカや社会保険制度が無い発展途上国等)もあれば、価値財とする国(ドイツ・フランス・日本等)もあれば、公共財とする国(イギリス・カナダ等)もある珍しい分野なのです。
最後に
医療経済を語る際に、経済学の歴史的な流れを把握することが必要と考え、このような企画を行いました。経済学は、供給が需要を作り、自由を基本とする「古典派」と、需要が供給を作り政府の介入が必要とする「制度派」・「ケインズ派」のせめぎ合いが続いています。一時は「古典派」の勝利のようにも思えましたが、行き過ぎた過当競争と、貧富の格差の為、再び「制度派」・「ケインズ派」が力をつけてきています。医療にとっては「制度派」・「ケインズ派」が力をつけてくれる方が望ましいと考えます。

 ※ご質問や何かお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までお知らせ下さい。
   (事務局担当 工藤 TEL852-1501 FAX852-1510)
 

担当理事 原  祐 一(広報担当)・原村耕治(広報担当)・竹中賢治(地域医療、地域ケア担当)


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