医療情報室レポート
 

bP22  
 

2008年 8月 1日  
福岡市医師会医療情報室  
TEL852-1501・FAX852-1510 

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特 集 : 保険について
 

 我々の日常生活には様々なリスクが存在しており、そのリスクをカバーする一つの手段に保険がある。保険を利用す
ることによって一定の保障を確保され、個人・企業は安定を維持できる為、保険は「危険なくして保険なし」と言われるほど、生活に密着し、社会環境に深く関わっている。
 保険は、英語で”insurance”または”assurance”と言う。この単語はラテン語から派生しており、元は「心配のな
い状態にすること」を意味している。また、日本語での字義は「険しいことや危ういことについて、守り、責任を負担
する」である。19世紀に入り、我が国に初めて保険を紹介したとされている福沢諭吉は『西洋案内』で保険を「請合ヒ」と訳している。
 また、保険を歴史的観点から見てみると、海上・火災事故に対する損害保険から始まり、次に生命保険へと続き、そして多様な保険種目の誕生へと至った。ここで注目すべきは、医療と関わりの深い社会保障の概念がこの段階で体系化されたことだ。社会保障の概念は、もともと国の統治手段の一つとして生まれたが、現在では主に社会保険制度という国民のセーフティネットとして不可欠の存在となっている。
 今回は、医療情報の分析から少し離れ、「保険について」をテーマに、保険とは何か、その定義、誕生の歴史、保険の分類をまとめた。


保険とは何か?
保険はどのようにして生まれたのか?
保険の定義
不測の事態・不運な出会いという不確実性を前提に、損失発生に対処する経済システムのこと。具体的には、偶然の事故によって生じる財産上の損失に備えて、金銭(保険料)を出し合い、その資金によって事故が発生した者に金銭(保険金)を給付する制度

保険の歴史

危険発生による損失を埋め合わせるための善後策の1つとして経済社会の必要から生まれ【コレギヤ・テヌイオルム(※1)、ギルド(※2)、海上貸借(※3)など】、さらに多様化する危険に対処しながら、経済システムとして発展した。
紀元前3000年頃、メソポタミア地方(当時のペルシアの一部、現在のイラクあたり)に居住していたバビロニア人は地中海の航海において、危険による損失を埋め合わす善後策として危険負担を合理的に処理する方策を持っていた。
保険制度は突然生成されたものではなく、経済的損失を埋め合わす対策は古くから行われていたが、現在の保険制度は14世紀に地中海地方において発生した海上保険が起源であり、その後、経済社会の変化により火災保険、生命保険、社会保険へと多様化し発展した。
我が国では、16世紀末から17世紀に抛銀(なげかね)と呼ばれた海上貸借(※3)が行われ、鎖国時代には海上輸送の際の運送を 委託する海上請負が創設された。19世紀に5カ国と通商条約を締結したことに伴い、保険は外国の会社が参入し、海上保険、 火災保険が誕生した。20世紀に入り、健康保険法が公布され、健康保険、失業保険など様々な社会保険制度が創設された。

@海上保険
13世紀、ローマ法王グレゴリオ9世が、金銭貸借に対し利息を取ることを禁止する徴利禁止令を発布したことに伴い、従来の海上貸借(※3)は衰退した。
資本家が船主や荷主から借金をしたように仮装し、航海が成功  した場合は返済が免除され、失敗した場合は返済するとした仮装契約は、今日の海上保険に類似していた。
14世紀イタリアで、消費貸借や売買契約に仮装されない、独立の損害補てん契約が社会的に認知され、バルセロナ(スペイン)、リスボン(ポルトガル)、アントワープ(ベルギー)、ロンドン(イギリス)など西ヨーロッパの国際的貿易港に波及していった。
17世紀イギリスで、コーヒーが流行し、コーヒー店は商談に利用され、そこで海上保険取引が行われた。中でもエドワード・ロイドが所有していたLloy'd Coffee Houseは海上保険営業を独占し、保険会社を設立するまでに成長した。
コレギヤ・テヌイオルム(※1) 〜紀元前後・ローマ〜
当時は貧富の差が激しく、庶民が団結して相互扶助を目的として形成した。団体へは任意加入であり、加入者は加入金と月掛金を納め、死亡時には遺族に葬儀費用を支払うなど生命保険のような機能を果たしていた。
ギルド(※2) 〜中世・ヨーロッパ〜
商人手工業者は、同業の発展、共存共栄、共同の利益の擁護を目的と し、都市の内部で同業者組合を形成した。自由競争を禁じ、生産の統制や技術の保持を図り、市場を独占した。組合員の死亡、火災、家畜の盗難に対し、損失を負担する共済制度で生命保険、火災保険、盗難保険のような機能を果たしていた。
海上貸借(※3) 〜中世・地中海〜
海上輸送は沈没、座礁、海賊の襲撃などの危険があったため、貿易業者は所有している船舶、積荷を担保として、金融業者から資金を借り入れ、航海に成功すれば借入金に利息を加えて返済した。一方、航海に失敗した場合には、借入金の返済、利息の支払義務を免れた。
A火災保険
起源は中世ヨーロッパの北部(現在のドイツ)のギルド(※2)で あり、15世紀に多くの火災共済組合が設立された。17世紀にはハンブルクで世界最初の公営火災保険会社が設立され、19世紀には、産業革命の展開とともに公営保険から私営保険に移行していった。
17世紀のイギリスで、大火を契機に当時の海上保険を応用して世界最初の私営火災保険会社が設立された。
イギリスの植民地であった18世紀のアメリカで、ロンドンのHandin Hand社が火災保険会社を設立した。
B生命保険
18世紀のイギリスで、加入者を2,000人に限定して、年齢に関係なく一定の掛金を支払い、会社がこれを運用し、死亡者に元利金を保険金として均等に分配するという生命保険会社が設立された。その後、加入制限を撤廃し、保険料を年齢別に区別する現在の生命保険へと発展した。
17〜18世紀に発達した確率論、人の生死に関する数学的究・統計により生命保険の合理的な保険料の算出や適用などの基礎が確立された。
保険の分類
C社会保険
18〜19世紀の産業革命により資本主義経済は高度化したが、個人の生活保障は自己責任であった。19世紀のドイツで、資本家と労働者の対立が先鋭化し、分配の公平化と社会問題を解決する政策として、疾病保険、産業災害保険、障害・老齢保険が制度化された。
20世紀のイギリスで、国民健康保険、失業保険が制度化され、拠出年金制度が創設された。
20世紀のアメリカで、世界恐慌による不況対策として、大量の失業の克服を目指した社会保障法が成立した。これにより、老齢年金制度、失業保険制度が創設され、公的扶助、社会福祉事業に対して国庫補助を行った。しかし、アメリカの社会保険には健康保険(疾病保険)は含まれていなかった。

保険学上、保険の分類の重要性は薄れてきていると言われている。保険業法の実質的な規制力が弱まり、生命保険と損害保険の区別の必要性が減り、また、新種保険と呼ばれる第3の分野の保険種が多数誕生している。
各種保険の基準に応じ、保険を分別することで、保険の機能・範囲・領域・問題点は鮮明にされるので、保険の分類は保険の実態を明確化していると言える。
公保険が及ばない部分は、私的・民営保険で補完すべきとの意見があるが、公保険に分類される社会保険は、国家が社会保障の政策上の目的を達成するためのものであるべきで、営利追求を最優先する民間の保険会社に、社会保険の分野を安易に任せることは危険である。
一般的に私保険は公保険を補完するような役割を担うべきで、我が国における健康保険などの公保険は限定的であってはならない。

<医療情報室の目>
 原始的な保険とされるものが経済市場に登場したのは極めて古いが、本レポートで考察した中世から近代にかけての保険は、資本主義経済、社会の形成・展開と深く関係しており、保険の発展と変化が経済や社会を変革させたと言っても過言ではない。また、同時に保険の発展と変化を具体化すべく、経済的保障という福祉活動・事業の体制も確立された。
 老齢や疾病、障害、死亡などのリスクに対応する社会保険の果たすべき役割は大きい。我が国では、国民皆保険・皆年金と言われるように、社会保険は生活の一部として機能しており、20歳以上は国民年金に強制加入させられ、医療保険に関しても、働いている本人のみならず家族も被保険者として加入している。誰にとっても社会保険は身近な制度であり、今後も、社会保障の基本的制度として、保険料を財源として給付を行う社会保険方式は堅持されなければならない。
 我が国は、国民皆保険制度を昭和36年(1961年)から採用しており、この制度は、国民の医療への平等なアクセス権を保証するものとして今後も守っていかなければならないものである。この卓越した制度を止めて、アメリカのように私保険(民営保険)で賄うべきと言う意見もあるが、これは私保険(民営保険)と公保険、全く機能が異なる2つの「保険」を混同しているのではないだろうか。私保険(民営保険)と公保険は、制度に加入すること、保険金が必要なこと、保険加入者のみが事故時に保険金が支払われること(我が国の医療保険については現物給付)、保険者は保険金支払いの義務があることなど類似している部分と、社会保険のような公保険は、原則、強制加入であること、リスクに応じての保険料の違いが少ないことなど、私保険(民営保険)とは異なる部分がある。強制加入と言うことは、何かが起これば確実に保障されるという意味も持ち、これは近代国家の社会安定性を担うものである。
 医療保険を公的部分の医療(公助)は最低限にとどめ、それ以上は私的保険(自助)で賄えば良いとし、「支払い能力による格差医療は当然」とする市場経済原理主義の考えが当たり前のものとして通れば、「いつでも、どこでも、だれでも」安心して必要な医療が受けられる国民皆保険制度は早晩形骸化し、医療崩壊の流れは一挙に加速するだろう。国民の健康を守るセーフティーネットである医療保険は国民の健康リスクに対して平等に保障がなされるべきで、それは政府の責任である。

 ※ご質問や何かお知りになりたい情報(テーマ)がありましたら医療情報室までお知らせ下さい。
   (事務局担当 工藤 TEL852-1501 FAX852-1510)
 

担当理事 原  祐 一(広報担当)・竹中 賢治(地域医療担当)・徳永 尚登(地域ケア担当)


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